台本『ラ・ラ・ランド』ほか

下妻物語

超有名なバロックの後に出現した、
超華やか(ちょうはなやか)、超軽薄(ちょうけいはく)な装飾様式。
ロココはその余りのバカっぽさから、
歴史の闇(やみ)に葬り(ほうむり)去られ、
歴史の授業でも、ほとんど触れられることもありません。
評論家たちは、この時代の芸術を甘ったるくて、
安易(あんい)で、化粧っぽくて、下品、みだら、とこき下ろします。
だけど・・・道徳とか真実より、甘ったるい空想を好み、
人生を深く考えるより、目の前の享楽(きょうらく)におぼれる。おぼれまくる。
それがロココなロココなのです。
究極の自己中、完璧な個人主義。
ロココって、ある意味パンク、ある意味、アナーキー。
ただ見た目の美しさのためだけに腰をギンギンに締め上げ
・・・そのため、呼吸困難を起こす。
でも、それが・・・超カワイイ !

 

ラ・ラ・ランド

77分~の場面

セブとミアが住んでいる部屋にミアが帰ってくる。
ミア、ドアの前。
セブはライブの巡業で誰も家にいないはずなのに、部屋から音楽が聞こえる。
ミア、不思議に思いながらドアを開ける。
そこには手料理をテーブルに運んでるセブがいる。

ミア「!!!!」
セブ「(ミアに気付き、ビックリする)いや、、、サプライズだ! 朝一で出なきゃいけないけど、君に会いたくて」

  二人抱き合う

ここから台本練習のスタート

  食事をしている二人

セブ「やっぱり家はいいな」
ミア「私もうれしいわ」
セブ「芝居の方は?」
ミア「不安でいっぱい」
セブ「そうなの? どうして?」
ミア「だってお客さんがいるのよ」
セブ「クソくらえだ。反応が気になるか」
ミア「上手く出来るか不安なの。お客さんの前で舞台に立って・・。わかるでしょ?
セブ「きっと成功するよ」
ミア「とにかく怖いの」
セブ「観客はラッキーだよ。待ちきれない」
ミア「逃げ出したい。・・・明日、早いの?」
セブ「ああ、6時45分。ボイシだ」
ミア「え~、ボイシ!」
セブ「君も来いよ」
ミア「ボイシへ?
セブ「ずっと一緒にいたいって言ってただろ?」
ミア「それって・・できたら最高だけど。ツアーの後は?」
セブ「なんで来ないの?」
ミア「ボイシへ?」
セブ「ああ」
ミア「稽古があるわ」
セブ「稽古はどこででもできる」
ミア「あなたのそばで?」
セブ「まあ、そうだな」
ミア「舞台のセットもあるし、本番は2週間後よ」
セブ「・・そうだな」
ミア「ステキな提案だけど今は・・すごく残念」
セブ「もっと会えるようにしたいな」
ミア「いつ終わるの?」
セブ「終るって何が?」
ミア「ツアーよ、いつ終わるの?」
セブ「今のが終わったら、新しいアルバムを作ってまたツアー。その売り上げでアルバムを作ってまたツアーに出る」
ミア「それじゃ永遠に続いちゃうじゃない」
セブ「それどういう意味だ?」
ミア「あなたはこの先、ずっとあのバンドで演奏を続けるってこと。・・ツアーも」
セブ「君は・・どうすると思ってたんだ?」
ミア「私は・・あまり・・考えてなかったの。あのバンドが・・」
セブ「成功するとは?」
ミア「う~ん、そうは言ってないわ・・。でもツアーはどれくらい? 何か月? 何年とか?」
セブ「ああ、短くはないな。・・次のアルバムを出したら、場合によっては2・3年は回ると思う」
ミア「そんなに・・。あの音楽、好き?」
セブ「どうかな・・それってそんなに大事なこと?」
ミア「夢を諦めようとしてるなら大事なことだと思うわ。そのうえこれから何年もかけて演奏し続けるんだから・・。好きかどうかは大事でしょ」
セブ「君はあの音楽好きか?」
ミア「ええ、好きよ。・・でも、あなたは違うかと思っただけ」
セブ「俺は好きっていうか」
ミア「キースの悪口を言ってた人が何年も一緒にツアーするなんて苦痛じゃないかと思って」
セブ「なんでそんなことを言うんだよ」
ミア「心配になって」
セブ「何が不満なんだよ」
ミア「なにそれ?不満なんて言ってない」
セブ「君が望んだことなのに。今になって反対するのか?」
ミア「どういう意味? 私が望んだって・・」
セブ「入ることを望んだだろ?」
ミア「今のバンドに?」
セブ「バンドに入って定職に就くことをだよ。収入だって安定する」
ミア「そうよ。定職に就くことは望んだ。そうすれば生活も収入も安定して・・。そうすればお店だって」
セブ「だから定職に就いただろ? なんで祝ってくれない?」
ミア「どうしてお店を出さないの?」
セブ「君が誰も来たがらないって言ったんだろ。”チキン・スティック”なんて店、誰も来ないって」
ミア「名前を変えればって言ったの」
セブ「ジャズは流行らない。君も嫌いだろ」
ミア「私は好きになったわ」
セブ「君が喜ぶと思って始めたんだ。どうすればいい? またレストランで『ジングルベル』を弾くのか?」
ミア「誰もそんなこと言ってないでしょ」
セブ「あくせく働いて小銭をためて」
ミア「稼いだお金でお店を始めてほしいのよ。あなたの店に人が来ない訳ないわ。あなたの情熱の結晶よ。人は情熱に心を動かされるの」
セブ「甘いよ。・・もういい、俺たちも大人になろう。俺は定職に就いた。やめる気はない。いきなり文句を言われても困るんだよ。文句なら契約書にサインをする前に言ってくれないか」
ミア「夢を思い出させてあげただけ。あなたが追いかけ、情熱をかけた・・」
セブ「これが夢だ。これこそが夢だ」
ミア「こんなのあなたの夢じゃないわ」
セブ「本当だったら俺なんかには絶対に味わえない成功を味わえてるんだ。人の好きな音楽を演奏して・・やっと、やっと人を楽しませれてるんだ」
ミア「いつから人がどう思うかなんて気にするようになったの? どうしてそんなに人に媚びるの?」
セブ「女優の君に何が分かるっていうんだ?」
ミア「(笑う)」

  二人、沈黙

セブ「俺を見てると優越感に浸れるから付き合ったんじゃないのか?」
ミア「それ冗談よね」
セブ「いや」

  二人、沈黙

セブ「わからない」

オーブンの音
焦げてる料理
出ていくミア
それに気付いているセブ

 

羅生門

ある日の暮方(くれがた)の事である。一人の下人げにんが、羅生門らしょうもんの下で雨(あま)やみを待っていた。広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗にぬりげた、大きな円柱まるばしらに、蟋蟀きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路すざくおおじにある以上は、この男のほかにも、雨(あま)やみをする市女笠いちめがさ揉烏帽子もみえぼしが、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。

 何故(なぜ)かと云(い)うと、この二三年、京都には、地震とか辻風つじかぜとか火事とか饑饉(ききん)とか云(い)うわざわいがつづいて起った。そこで洛中らくちゅうのさびれ方は一通りではない。旧記(きゅうき)によると、仏像や仏具(ぶつぐ)を打砕(うちくだ)いて、そのがついたり、金銀のはくがついたりした木を、路(みち)ばたにつみ重ねて、たきぎしろに売っていたと云う事である。

洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧(かえりみ)る者がなかった。
するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸こりむ。盗人ぬすびとが棲む。とうとうしまいには、引取り手(ひきとりて)のない死人(しびと)を、この門へ持って来て、棄(す)てて行くと云う習慣さえ出来た。

そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。

 

外郎売

拙者 親方と申すは 
 せっしゃ おやかたともうすは
=私(はこのように薬売りですが、制度上「親方」がおります。(その、私の)親方と申しますのは(どういう人かと申しますと)、 

「親方」:薬売りは「香具師(やし)」と呼ばれる路上商人組合に入っており、その中に「親方(親分)」と「子分」がいました。
ここでは、このお芝居の主人公の「外郎売り」さんが、自分の「親方」について説明することによって、まっとうな(インチキではない)「薬売り」であることを強調している台詞ということです。

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お立合のうちに 御存じのお方も ござりましょうが
 おたちあいのうちに ごぞんじのおかたも ござりましょうが
=ここにお立ち合わせになっているみなさんの中にも(私の親方は有名ですから)ご存知のおかたもいらっしゃるでしょうが、

知ってる人がいなくてもこう言いますよね、今も。
電話セールスとかで「テレビCMでもおなじみの」と言うようなかんじだと思います。

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お江戸を発って 二十里上方 相州小田原 一色町を お過ぎなされて
 おえどをたって にじゅうりかみがた そうしゅうおだはら いっしきまちを おすぎなされて
=お江戸を出発して上方に向かって二十里(約80㎞、すっごくがんばれば一日でいける、ふつうは2日くらいの旅程)、相模の国は小田原の、一色町の少し先にいらして

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青物町を 登りへおいでなさるれば 
あおものちょうを のぼりへおいでなさるれば 
=「青物町」というところをさらに上方に向かってお行きになると、

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欄干橋 虎屋藤右衛門 
 らんかんばし とらやとうえもん
=(その青物町を上にいったところにある店の)欄干橋 虎屋藤右衛門(というのがわたくしの親方ですが)、 

今もいらっしゃいます、籐右衛門さん。今もある「外郎屋」さんの代々の当主です。
今は「外郎 籐右衛門」さんのようです。
江戸末期に書かれた本に、「欄干橋虎屋某(らんかんばし とらや なにがし)」が「ういろう」の元締めとして存在し、香具師のなかでもとりわけて規模が大きい、という記述がありますので、江戸時代には代々「虎屋 籐右衛門」と名乗っていたようです。

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只今は 剃髪致して 円斎 と 名乗りまする 
 ただいまは ていはついたして えんさい と なのりまする
=その親方は、いまは髪を剃って僧形になり、名前も変えて円斎と名乗っております。

「剃髪」は、つまり出家です。
が、いわゆる「お寺に入ってお坊さんになる」のとは少し違います。
平安末期にはじまり、鎌倉時代に盛んになった「在家出家」というシステムです。頭を剃り、法名を付けますが、お寺には入らず、そのまま市井で生活します。出家というより「隠居」に近いです。
チナミに古典などに出てくる「法師」というのは全部これです。「兼好法師」や「西行法師」なんかも、この「在家出家者」です。お坊さん(寺僧)ではないのです。
で、頭剃って法衣を着て、大道芸をやったり太鼓持ちのようなことをやったりした人たちもいて、これらは出家すらしてませんが「法師」と呼ばれました。非常に区別が不明確です、適当です。
この「円斎」さんは当時の「ういろう屋」さんのご隠居がモデルでしょうか?

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元朝より 大晦日まで お手に入れまする 此の薬は
 がんちょうより おおつごもりまで おてにいれまする このくすりは
=元旦の朝から大晦日まで、みなさまのお手に入るようにいたしますこの薬は、

「お手にいれ」の、この「入れ」は使役にとります。
あと「元朝」を「元の国」という意味に取る説もあるのですが、ここではナシとします。すぐ後に「珍の国」と出るので、具体的に「元」という国名を挙げたとは考えにくいのです。

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昔 珍の国の唐人 外郎といふ人 わが朝へ来たり 
 むかし ちんのくにのとうじん ういろうというひと わがちょうへきたり
=昔、珍の国からきた外国人である外郎という名の人が我が国へ来たのでした。

「珍の国」:よく分からない外国の名前はだいたい「珍」です、深い意味ナシです。
「唐人」:「唐の国の人」でも「中国人」でもありません、「外国人」はすべて「とうじん」です。

「外郎(ういろう)という人」:「外郎」はもともと名前じゃなく、中国での役職名です。
元の国の「陳宗敬(ちん そうけい)」というひとが元の滅亡とともに日本に亡命して帰化しました。
中国での役職名で呼ばれて「外郎」さんと名乗ったようです。

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帝へ参内の折から この薬を 深くこめ置き
 みかどへさんだいのおりから このくすりを ふかくこめおき
=帝に参内したときから、この薬を深くしまい込んだままにして外には出さず、

実は日本に帰化した「外郎」さんは都を嫌い、ずっと博多に住んでました。息子の宗奇さんが足利幕府の求めに応じて上京します。
宗奇さんが作ったお菓子である「ういろう」は、当時のお菓子のレベルの中では最先端でした。
このお菓子は外国使節の接待にも使われてたそうなので、宗奇さんと宮廷とのつながりは深かったかと思います。かなり身分の高い人に会っていても不思議ではありません。

「透頂香(とうちんこう)」という名を帝が付けた、というのも(事実関係は知りませんが)表向きは定説のようです。ただ、ホントに「帝に参内」した(直接会った)かはビミョウかもしれません。南北朝のころだから、帝の権威も落ちていたので、会えたかもしれないですね。

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用ゆる時は 一粒ずつ 冠のすき間より 取り出す
 もちゆるときは ひとつぶずつ かんむりのすきまより とりいだす
=薬を自分の帽子の中に入れて置いて 使うときは一粒ずつ頭との隙間から大切に取り出すのだ。

冠というのは王冠ではなく、烏帽子や中国のかたならチャイナな帽子などです。
当時は頭に何かかぶっているのが常識でした。

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依って その名を 帝より 透頂香 と 賜る
 よって そのなを みかどより とうちんこう と たまわる
=その様子から、帝からその薬の名を「透頂香」と付けていただく。

でも多分、冠の隙間から取り出したから「透頂香」じゃなくて、薄荷などの成分がスーっと頭の上まで突き抜けて香るイメージから「透頂香」と付けたんだと思います。帽子の中に入れておいたらムレそうです…。

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即ち 文字には 頂き 透く 香い と 書いて
 すなわち もんじには いただき すく におい と かいて
=つまり、文字であらわすと、「頂き」「透く」「におい(香り)」と書いて

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とうちんかう と 申す
 とうちんこう と もうす
=(その名を)「とうちんこう」という。

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只今は この薬 殊の外 世上に弘まり 方々に似看板を出し
 ただいまは このくすり ことのほか せじょうにひろまり ほうぼうににせかんばんをいだし
=(ここまでの説明は昔のことで、このように由緒正しい薬なのだが)現在はこの薬の存在は、たいへんに世間で有名になり、あちこちに(本物でないこの薬が)にせ看板を出し、

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イヤ 小田原の 灰俵の さん俵の 炭俵 のと
 いや おだわらの はいだわらの さんだわらの すみだわらのと
=いやもう、(ういろう本舗のある)小田原(産)だの 灰俵だの さん俵だの 炭俵 だのと

「灰俵」以下「おだわら」にひっかけたただのシャレです。「灰俵」と「炭俵」は当該商品が入った俵です。
「さん俵」は俵の上に付いてる、丸く編んでフタになってる、あれです。

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色々に 申せども
 いろいろに もうせども
=いろいろに(そのにせ商品の名前や由来を)言うのだが、

実際ニセモノあったようです。

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平仮名をもって ういらう と記せしは 親方円斎ばかり
 ひらがなをもって ういろう としるせしは おやかたえんさいばかり
=ひらがなを使って「ういろう」と商品名を書いているのは(わたくしの)親方、円斎(虎屋籐右衛門)だけである。

もしや お立合の中に 熱海か塔ノ沢へ 湯治においでなさるか 又は 伊勢参宮の折からは
 もしや おたちあいのうちに あたみかとうのさわへ とうじにおいでなさるか または いせさんぐうのおりからは
=もしも、ここに居あわせておいでのかたの中に、熱海か塔ノ沢(箱根)へ湯治にお行きになるか、または伊勢まいりにおいでになる機会がございましたら、

熱海や箱根での湯治(というか観光したあと温泉宿で遊ぶ)と、「伊勢参宮」(というか観光したあと旅館で精進落としに遊ぶ)。江戸市民が東海道を西に向かう目的のほとんどがこのふたつでした。上方見物は遠いしね。ハワイよりグアムみたいな感じでしょうか。

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必ず 門違い なされまするな
 かならず かどちがい なされまするな
=そのときは、絶対に入る店をお間違えになってはなりませんよ。

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お登りならば 右のかた お下りなれば 左側
 おのぼりならば みぎのかた おくだりなれば ひだりがわ
=(上方に)お上りになるとしたら、道の右のほうに、江戸にお下りになるのでしたら、道の左側(にその店はございます)。

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八方が八つ棟 表が三つ棟 玉堂造り
 はっぽうがやつむね おもてがみつむね ぎょくどうづくり
=八方に八つの棟があり(屋根の三角が、正面に三つ、裏面に三つ、左右の側面にひとつずつ、計八個あるのです)、正面側は三つ棟が見えて、それはりっぱな御殿風の造りで、

店の外観の説明です。

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破風には 菊に桐の薹の 御紋を 御赦免あって
 はふには きくにきりのとうの ごもんを ごしゃめんあって
=屋根の合わせ目のところの飾りには菊の御紋と桐の薹の御紋を使うことについて(帝から)御赦免があって、

菊の御紋は朝廷御用達のしるし、桐の薹(花芯)の紋も朝廷の替え紋です。

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系図正しき薬でござる
 けいずただしき くすりでござる
=つまりそれくらい「ういろう」という薬はその品質のよさによって朝廷と昔から関係が深い、代々の家系の伝承がしっかりした店の、信用できる薬なのであります。

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イヤ 最前より 家名の自慢ばかり 申しても
 いや さいぜんより かめいのじまんばかり もうしても
=いや、さっきから、「ういろう」の店がいかに名家であるかの自慢ばかり申し上げても、

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御存じない方には 正真の胡椒の丸呑 白川夜船
 ごぞんじないかたには しょうしんの こしょうのまるのみ しらかわよふね
=「ういろう」をご存じないかたには、なんのありがたみもなく、まさしくそれは胡椒を丸飲みすると辛さがわからないようなもの、または「白川夜舟」の例えのごとく、眠ったまま名所を通り過ぎて気付かないようなものです。

ていうか「白川夜舟」の場合そもそも京に行ってませんが。

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さらば 一粒食べかけて その気味合を お目にかけましゃう
 さらば いちりゅうたべかけて そのきみあいを おめにかけましょう
=であるなら、薬を一粒ちょっと食べて(飲んで)みせて、その効き方の様子をみなさまにお目にかけましょう。

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まず この薬を かやうに一粒 舌の上に 乗せまして
 まず このくすりを かようにひとつぶ したのうえに のせまして
=まず、この薬を、このようにひと粒舌の上にのせまして、

読み方のハナシですが、上では「いちりゅう」といい、ここでは「ひとつぶ」と言います、上の文章は口上色が強く、漢文調なのです、だから漢文風に音読み、ここは実演ですからちょっと口語調で訓読みなのだと思います。

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腹内へ 納めますると
 ふくないへ おさめますると
=薬を飲み込んでお腹の中に納めてしまいますと、

てことは「ういろう」舐めるクスリじゃなく内服薬です。
なんか「痰切り、口臭予防」効果が謳われるので「のど飴」っぽい印象ですが、ちょっと違います。
もっとも「ういろう摘む(つむ、=かじる)」という表現が西鶴の本にあるので、口の中で溶かすのもアリだったようです。

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イヤ どうも云へぬは 胃 心 肺 肝が すこやかになって
 いや どうもいえぬは い しん はい かんが すこやかになって
=いや、どうにも口では説明できないほどすばらしいことには、胃、心臓、肺、肝臓の調子がよくなって、

漢方医学をなめてはいけません、解剖学的な位置や形状の把握は不正確でも、その機能や相互が連関して体全体に与える影響については、現代においても漢方医学のほうが、西洋医学よりはるかに正確、かつ豊富な情報を持っております。

「痰切り薬」のくせに効能おおげさ、と思われるかもですが、成分を調べたら人参や桂皮が入っていましたので相応の効果が見込めます。滋養にもいいです。

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薫風 咽より来たり 口中 微涼を生ずるが如し
 くんぷう のんどよりきたり こうちゅう びりょうをしょうずるがごとし
=さわやかな香りの風がのどの奥より出てくるのである、そして口の中は涼しい風が起ったようなかんじになる。

薄荷入ってますもんね(笑)、あと成分の「阿仙」というのにフラボノイドが入ってます。

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魚鳥 茸 麺類の食合せ 其の外
 ぎょちょう 茸 めんるいのくいあわせ そのほか
=魚や鳥、茸類、麺類の食い合わせでおこる体調不良体調不良、そのほか、

成分に解毒作用、消化促進作用、健胃作用などがありますよ。
チナミに、「ういろう」は今も一応「医薬品」扱いらしく、「外郎」の店に行って症状を話して対面販売でしかゲットできません。お土産気分では買えないようです。

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万病 速効ある事 神の如し
 まんびょう そっこうあること かみのごとし
=よろずの病にすばやい効き目があることは、まるで人知を越えた不思議な存在のようである。

「神」をそのまま「神」と訳して西洋文明的な全知全能の創造神をホウフツとされても困るので(笑)、てきとうに意訳します。

万病に効く、は言い過ぎな気もしますが実際いろいろな効能の生薬がバランスよく入っているようなので、どんな症状でもあるていどは一時的であっても軽くなったかもしれません。

「治療」はできませんが「対症療法薬」としてはたしかに万能感があります(治りませんが)。

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