練習用の台本

(映画)下妻物語

この動画くらい自由にいろんな言い方を見つけて下さい

超有名なバロックの後に出現した、
超華やか、超軽薄な装飾様式。
ロココはそのあまりのバカっぽさから、
歴史の闇にほうむり去られ、
歴史の授業でも、ほとんど触れられることもありません。
評論家たちは、この時代の芸術を甘ったるくて、
安易で、化粧っぽくて、下品、みだら、とこき下ろします。
だけど・・・道徳とか真実より、甘ったるい空想を好み、
人生を深く考えるより、目の前の享楽(きょうらく)におぼれる。
おぼれまくる。
それがロココなロココなのです。
究極の自己中、完璧な個人主義。
ロココって、ある意味パンク、ある意味、アナーキー。
ただ見た目の美しさのためだけに腰をギンギンに締め上げ
・・・そのため、呼吸困難を起こす。
でも、それが・・・超カワイイ !


  • 最初から完成形を目指したセリフの練習をすると窮屈で型にはまった表現になります。
    スポーツは最初に柔軟体操やストレッチで緩めて可動域を広げます。
    演技も最初は型にはまってない、緩く自由な表現にしないと、ありきたりで型にはまってる表現しかならず、癖もついてしまいます。
    まず自由。すると脳がノッてきます。これが演技が伸びる秘訣です。
    特に声優の人には効果的な練習です。

俺は憎しみを捨てる

なっ、なっ、言ったよね! おーい・・ちゃんと聞いてよね。
みんな反対したけど、ちゃんと面倒を見ればこんな土地でも育つんだよ。
愛っていうんだ、これを。

外郎売

台本はこちら(外部サイト)

◆リアリティーより自由が大事
◆「正しい話し方」は無味無臭
外郎売は、滑舌・アクセント・早口の練習によく使われます。

それらも大事です、最終的には。
でも最初から、最終的なゴールを目指した練習・はっきりと分かる技術的な練習をすると、
「正しくしなければ」という意識が働き、自由な発想が抑え込まれます。
だから滑舌やアクセントを意識した正しい外郎売の練習は、「無味無臭で個性が無い」「型にはまったつまらない」ものになりやすい練習です。

まず自由! 発想力・衝動のまま・遊びこころ・表現する楽しさのないリアリティーは偽物です。
自由にやりたいとは思っていても、無意識のうちに型にはまりたがる人、自由にするのを怖がる人がいます。
自由になる方法を知らないからです。

自由になるには法則があります。そしてそれは誰でも出来ます。

上記の『下妻物語』の動画くらい自由な言い方を見つけて下さい。

檻の中の人形

『檻の中の人形(女性用)
ママ、私はいいのよ、この部屋で人生が終わっても。
外なんて嘘ばっかりの世界よ。
見て、綺麗なお花畑。
うそ? うそを言ってるっていうの?
・・・うそってダメなの?
うそもない人生なんてつまらないじゃない。
私のうそは綺麗なうそよ。


『檻の中の人形(男性用)
ママ、僕はいいんだよ、この部屋で人生が終わっても。
外なんて嘘ばっかりの世界だよ。
見て、綺麗なお花畑。
うそ? うそを言ってるっていうの?
・・・うそってダメなの?
うそもない人生なんてつまらないじゃないか。
僕のうそは綺麗なうそだよ。


  • このページのオレンジの動画の台本。
  • 引きこもり、繊細で妄想癖のある人物。
    年齢は10代後半~40代。

まぬけな悪魔

 男性用
わっはっは、来たな坊主!(小僧でもいい)
ということは私を倒せると思っているのか
皆さん、久しぶりに本気になったとこをお見せしましょう。
思い起こせば、(殴られる)ブファッ! き、効かないな・・・。

 女性用
うぉっほっほっほ、来たわね坊や!
ということは私を倒せると思っているのね
皆さん、久しぶりに本気になったとこをお見せしますわ。
思い起こせば、(殴られる)ギョヘッ! き、効かないわね・・・。

昔の大映ドラマ

クサいセリフで恥ずかしさを取る

人がしんだらよー
世界中はその一人の為に泣くべきだぜ
(不良少女とよばれて)


勝った方が
負けた奴の骨壺を蹴飛ばすまでさ
(不良少女とよばれて)


怒りも悲しみも
ドラムに叩きつけて生きていくんだ
(ポニーテールはふり向かない)

羅生門(芥川龍之介)

ある日の暮方(くれがた)の事である。一人の下人げにんが、羅生門らしょうもんの下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗にぬりげた、大きな円柱まるばしらに、蟋蟀きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路すざくおおじにある以上は、この男のほかにも、雨(あめ)やみをする市女笠いちめがさ揉烏帽子もみえぼしが、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
 何故(なぜ)かと云(い)うと、この二三年、京都には、地震とか辻風つじかぜとか火事とか饑饉(ききん)とか云(い)うわざわいがつづいて起った。そこで洛中らくちゅうのさびれ方は一通りではない。旧記(きゅうき)によると、仏像や仏具(ぶつぐ)を打砕(うちくだ)いて、そのがついたり、金銀のはくがついたりした木を、路(みち)ばたにつみ重ねて、たきぎしろに売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧(かえり)る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸こりむ。盗人ぬすびとが棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄(す)てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。

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